2012年9月26日水曜日

民主と 大正デモクラシー

▲民本主義で有名な、吉野作造
芸術、学問、思想に大衆文化。そのどれを取っても、僕は、大正時代が好きになれない。
明治という熱い時代が過ぎ去り、世界大戦の渦巻く激動の世界の中にありながら、ひとり日本の文化はまったりと成熟しきったようにも見える。・・たとえば 「竹久夢二の美人画」 もそうだし、「有島武郎の文学」 もそう。

そういえば、関東大震災前後の時期を調べてみると、まぁ 驚くほど今の日本にピッタリ似ていることに驚く。

日本人が これからどっちに向かうのか?そういった質問に対して、僕は「大正デモクラシーを調べれば、見えてくるんじゃないの?」と答えることにしている。

吉野作造(よしのさくぞう)と言えば、民本主義(みんぽんしゅぎ)を唱えた先覚者のように神格化されることも多いけど、実に “あたりまえのこと” をハッキリ言っていただけで、実際は ただ "肝っ玉の人" だったのではないかとも思う。

この辺、
西部邁 (にしべすすむ) さんがうまいこと語ってくれているので引用。

吉野(作造)は、普通選挙権を実現するために、「民」の概念を “空間的” に拡張して、富裕階層のみならず貧窮階層をも「民」に含めた。 
現代の機能主義的分析は、その「民」の空間的模様を、より精細に描き分けようとしている。しかし、私の「民」にかんする関心は、空間軸よりもむしろ時間軸に向けられている。
といえば難しそうな話だが、私のいいたいのは、憲政でいわれるところの「民」は、今生きているわれわれ生者のことにかぎられはしないということである。 
憲法は歴史的長期にわたって存続する。少なくともすべきものとされている。そうならば、憲法に関わるものとしての「民」のうちには、その長期間において、この世に生を享(う)けたもののすべてが、それゆえ現時点でいえばわれわれの祖先である死者たちもが、含まれているはずなのである。 
・・・・中略・・・・ 
国民とは、実は、歴史上の総国民のことであったのだ。したがって「国民の総意」なるものは、それら総国民の残した「歴史の知恵」のことなのである。
主権などという物凄(ものすご)いものを授かるに値するのは、「歴史の知恵者」という虚構的にして抽象的な存在なのである。 
・・・・中略・・・・ 
戦後民主主義は、大衆の欲望それ自体を進歩の因(いん)として誉(ほ)め称(たた)えることをつうじて、伝統精神を破壊し、「歴史の知恵」を足蹴(あしげ)にし、そうすることによって、その別名を衆愚政治という「生者の民主主義」を発達させてきた。
この醜状を省みる際に、吉野作造の言説が大きなヒントになることは間違いない。 
『思想史の相貌 ~近代日本の思想家たち~』(西部邁著/世界文化社刊)より抜粋


まことに我が意を得たり、の文章なのである。

安倍さん がんばって。

2 件のコメント:

  1. 会社を後継するとき、後継者は社史から会社の強みを知る必要がある。
    その基となる知的資産を掘り起こすためには、社長以下全従業員が創業の思いを知り、どのような形で強みが会社に根づき、熟成されてきたかを理解することが必要であるとする説がある。
    過去から現在までのストーリーを全従業員で振り返り、経営者の思いが詰まった、経営理念と商品・サービスまでの一貫性を確認することは生き残りにおいて非常に重要なことなんだろう。ってちょっと内容とずれてしまったかな?


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  2. 国にしても、会社にしても、世界にしても
    全体を見て、本当によくしたいんだっていう人がトップになって
    全体の気持ちの動機づけや方向付けをしていくことの大切さを思います。

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