2012年7月26日木曜日

起業について “大津いじめ自殺” から考えた

行動する前の不安はだれでも一緒。
▲不安を乗り越えるためにも、まず行動!
日本の教育は、もうとっくの昔に末期の状態を通りすぎ、今やブスブスと悪臭を放つ墓場と化しているようだ。
起業するという “選択肢” を、まるで特別な人間がやることのように語る教師たちが、教育という名目で子どもたちを洗脳する。善良なサラリーマン。忠実な公僕になることこそ “人としての正しい生き方” でもあるかのように刷り込みながら、幼い心に芽生え始めた “自立の芽” を摘みとっているのだ。


そんな憤りが止まらない今日この頃・・。


かつて、師範学校(1872~1886)で学んだ教師たちは、教育者の社会的使命を自分に言い聞かせながら、子どもたちと真剣に向き合っていた。と、今年86歳を迎える父は語る。また、僕自身も昭和18年の戦争ど真ん中時分に出版された 『 師道行 』 という古書を読んだときに、父の言葉が間違いではないと思い至った記憶もある。
「戦争中は言論の自由がなかった」 とよく言われるが、“戦時下の教育関連書” を調べた限り、教師たちの生々しい討論の模様なども活発に出版されていた。もちろん、伏字などない。


それらを読めば、今から70年前の教師たちも少ない給料に不満をもちつつ、国の施策に疑問を持っていた。それでも、彼らは “教師” であることに誇りをもち、こと 子どもたちと向き合う教育の場に立てば、真正面から児童生徒に接していた。

【大津】中2いじめ自殺事件まとめ @ ウィキ
▲2011年に起きた大津いじめ自殺事件のまとめサイト
戦時中に書かれた書籍が、はたしてウソを語っているのか本当なのか?そんなことは、ひとまずどうでもいい。(良くはないんだけど)・・ここに書いておきたいのは、今回の事件で見られる大人たちの醜態。学校や教育委員会の見苦しさはなんだろう?ということ。
3.11以降、東京電力幹部たちがカメラの前に晒した姿、説得力のない数々の言い訳とダブって見えるではないか?


隠蔽につぐ隠蔽で、何が真実やらさっぱり分からぬ “大人たちの姿” と “言葉”。これでは、信ぴょう性がイマイチ(?)な 『まとめサイト』 に猛烈なアクセスが集中しても仕方がないではないか。誰もが我がことのように感じ、不安のまっただ中にいるのだから。


日本で “サラリーマン人口” が増えたのは戦後のこと。この新たな就業形態が 「社会人は会社に勤務するのが当たり前」 という風潮をつくり、また、それが同時に日本の再建を進める原動力ともなった。
そして、出張や転勤をはじめ “遠距離通勤” など新たな文化がこの国に根をおろし、同時に地域文化の衰退が加速する。あげくのはてに、専門課程を重んじる『農業学校』や『工業学校』は “程度の低い学校” という空気を生み出し、かくて、中流階級意識をもった “善良なサラリーマン” たちが、この国を動かす中心となった。


そしていま、学校教育では “個性” だ “人権” だと、それがまるで 『錦の御旗』 でもあるかのように合唱して、コミュニティーの新生を謳っているのだが、古人いわく、“立志” なきところに “自立” はあり得ない。自立できないサラリーマン精神の大人が、 “立志” を決意した若者を指導できるはずがない。
若人よ、いまこそ立志のときなのだ。この国の将来のためにも迷わず起業せよ。
志ある教育者も、気づいた者から起業し、率先“自立”の範を示すべし。


学校をどうすればいいのかと、よく質問されます。答えは、「もう遅すぎます。潔く死ぬしかありません」、こうとしか答えようがないのです。  
それでも、起死回生の大手術はないものだろうかと迫る人もいます。そこまでの覚悟があるのならば、ないこともありません。今となっては、因循姑息(いんじゅんこそく)な制度いじりは全く無効です。全く逆効果であることは、過去の諸例からも、目に見えているではありませんか。 
では、どうする。 
制度を全廃するのです。小学校から大学に至るまで、私立も公立も国立もひっくるめて、正式の学校、大学を全廃します。すべてを塾と(元)予備校にします。すべてを自由競争の坩堝(るつぼ)に投じるのです。それぐらいの教育への覚悟がなければできません。 
私立大学は今の塾と同じ考えからスタートしました。学校に魅力がなければ入ってくる生徒がいなくなり、廃校のほかありません。だから、どの私立大学も必死になって努力しました。そのために、それぞれに特徴のある校風ができて、それぞれに存在意義がありました。 
でも、今はどうですか。絶対につぶれなくなったら、なんの努力もしないものですから、魅力もないつまらない大学に成り果てて、独自の校風も消えたでしょう。こんなものだと思ったらいいではありませんか。 

小室直樹博士 談 
『人にはなぜ教育が必要なのか』(小室直樹、色摩力夫 共著) 97年 総合法令出版


1 件のコメント:

  1. りゅうじん2012年10月7日 0:19

    日本がサラリーマンが大勢を占める国になったのは確かに戦後ですね。

    祖父の話などを聞いていると、戦争体験が人生にある種の

    リセットを引き起こすような経験になったようです。


    たとえば満州からの引き揚げは当時仕事も失い、

    財産も失う経験だった。


    そういうのがあった後、自営業でしのぐ人たちも

    多かったようです。



    今の日本、そしてこれからの日本には社会構造的に同じような

    クラッシュ的な変化が現在進行形で起きているように思います。


    その中で、個人が起業、ないしは稼ぐ力を身につけていく技術を

    学校が教えないのならネット上の空間でも教えていくことが

    ますます重要になってくると思います。


    いわゆる稼ぐ系でもない、サバイブするためにマネタイズする

    能力とでもいうような。


    見方によれば、つらいけど面白い時代とも言えます。

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