▲ 凛々しい顔・・って 最近見かけないなぁ |
そもそも “外交官特権” はなぜ存在するか?また、外交儀礼上、近ごろの韓国や中国の行為がどんな意味をもっているのか? すこし整理しようとも思ったんだけど・・何というか、気合が入らずに断念。ここ、すっごく大切なことなんだけど。
日本の外交史上、ここまでフヌケけた時代もなかろうにと思えて悔しいやら情けないやら。どうにもこうにもいけません。
今回の件に関して、少しまともな日本人なら意見があるに違いないと思うし、僕だってそう。・・が、ここではすこし見方を変えて “こんな英雄もいるんだぜw” って話をしてみたい。
佐々淳行(さっさあつゆき)さんの 『インテリジェンス・アイ ~危機管理最前線』 を読み直してたら、胸が熱くなって・・ 以下、その抜粋。
平成15年12月1日早朝、光谷秀史千葉県警本部長から電話があった。受話器の向こうでいい大人が嗚咽(おえつ)している。
「尊敬していた外務省きってのサムライが殉職(じゅんしょく)しました。口惜(くや)しいです。カンボジアPKO文民警察官殉職のとき、僕は奥さんを批判したんです。“なんだ外務省は!後ろの安全なところばかりにいて、警察や自衛隊に行け、行けという。行かされる者の身になってみろ!” って。そしたら彼は “私は違います。私は行きます。” とキッパリいったんです。彼は本当に一番危険なところに行って国に命を捧げた。あんな立派な男に僕はなんてことをいってしまったんだろう。事件を知ってからずっと泣いてます。佐々さん、代わってほめてあげて下さい。」
三谷本部長(電話の主)は、奥大使と同じラガーマンで、日本赤軍が海外で暴れていた頃のワシントン警察駐在官。FBIの担当捜査官が、武士の情けでわざと机の上に放置した国連本部爆破未遂事件のテロリスト、菊村憂(きくむらゆう)の供述書コピーを “失敬” して警察庁に送付した豪腕の警察キャリア。
森喜朗元総理が、えひめ丸事件で苦境に立たされたとき、李登輝ビザ発給問題で身をもって総理を庇(かば)い、記者を殴った、殴らないの武勇伝を残した元総理秘書官だ。
ちょっとやそっとで泣く男ではない。その彼の涙声に筆者も目頭が熱くなった。
機密費問題などの不祥事で国民の信頼が揺らいだ日本外交も、奥克彦大使(享年45歳)、井ノ上正盛一等書記官(享年30歳、・・ともに 死後二階級特進)の壮烈な殉職により名誉回復された。
とかく特権意識と自国民への冷淡さで評判の悪い外務省の5,390人(116大使館、66総領事館、七代表部在外勤務者3,256人)の中には、日本外交の最前線の紛争の中の修羅場で、邦人保護や国際協力など献身的に任務を遂行している、立派なサムライ外交官たちが過去にもいたし、今もいるのだ。
かつて外務省は、内務、大蔵両省とともに、三大・天下国家官庁として国益を思い、国威(こくい、この国の活力あふれる状態)を発揚(はつよう)し、国事に奔走する中央官庁だった。
筆者(佐々さん)が昭和39年、外務省研修所に入所したとき、羽織袴(はおりはかま)に足袋(たび)姿の吉田茂元総理が式典に列席し、「外交官は顕官栄職(けんかんえいしょく、かっこ良くてミエの利く職業)の上流社会にあらず、男子一生の命がけの仕事と心得よ」と訓示(くんじ)され、身の引き締まる思いをしたものだ。
・・・中略・・・
筆者は、悲報に接したとき、ああ、またカンボジアPKOの悲劇がくり返されてしまったと天を仰いだ。なんでティクリットのような危険なイラク北部にNGOや外交官がゆき、自衛隊が「安全な非戦闘地域」なのか。(こんな考え方は)ふつうの国の正反対なのだ。
かつて国連のハマーショルド事務総長が「UNEF(PKOの前身)は軍隊の仕事ではない。だが軍隊以外、誰も果たせない任務なのだ。」といった。
しかるにカンボジアPKOでは、NGOの中田厚仁氏がまず殉職し、文民警察官高田晴行警部補(死後二階級特進)が “身に寸鉄も帯びず(丸腰のまま)” 殉職し、すでに派遣されていた600名の自衛隊は無事だった。
当時、(佐々さんは)カンボジア難民救援のNGO・JIRAC(日本国際救援行動委員会)理事長として学生ボランティアを率い、日の丸をあげて国連UNTAC明石康代表をたすけて現場指揮にあたっていた筆者は、明石代表が、
「日本政府は、“自衛隊を派遣しても大丈夫な安全な場所はないか?” としつこく何度も聞いてきた。私は怒って 『安全なところなどカンボジアにはどこにもない。危ないからこそ自衛隊がくるのではないか』 といってるんです」 と憤慨(ふんがい)していた。
・・・中略・・・
「海外での武力行使禁止」「戦闘区域への派遣禁止」「非戦闘区域で戦闘がはじまったら作業中止、撤退」「武器は正当防衛、緊急避難以外 人に危害を与えてはならない」「総理および防衛庁長官は隊員の安全確保に配慮せよ」
こんな法律では自衛隊派遣の意味がない。一番危険なティクリットにサムライ外交官を行かせて殉職させたことは国の責任である。
・・・中略・・・
筆者はサムライ外交官の勲(いさお)を讃(たた)え、誇りに思い、死を悼(いた)んで言いたい。
「兄ヲ不幸ニシテ天寿ヲ全ウシ能ワザレド自ラノ天命ヲ全ウセラレタリ」と。
奥恵美子(おく えみこ)さんには三人の子女が、身重(みおも)な井ノ上幸乃(いのうえ ゆきの)さんには二歳の長男が遺(のこ)された。
クウェート米空軍基地に向かう御遺族を乗せたバスの車窓に、キョトンと目を見開き、いぶかしげにあたりを見まわす遺児の顔が映ったとき、筆者の脳裡(のうり)に目黒警察署の畠中俊一巡査部長、日大警備で散った、西條秀雄警部、あさま山荘の内田尚孝・高見繁光両隊長、カンボジア文民警察官高田晴行警視ら、殉職者の遺児たちの顔々が、走馬灯のようにオーバーラップしてよぎった。
ご遺族の方々、故人を誇りに思い、どうか強く生きて下さい。』 ( 2004.2 )
・・僕なんかの説明は不要だけど、あえてもう一書から引用する。
『(国家公務員などを)言詞刀筆(げんしとうひつ、筆記試験・面接試験)のみによって採用すると、能力のすぐれた者を集める結果になるから、むやみに書類をつくり、書類の中に問題を残さなければ、現実にも問題がない、という形になりやすい。
いわば、問題ないように書類をつくってしまえば、現実の問題が解決してしまったかのような錯覚を自分も抱き、上司にも抱かす。そして、責任者は日々の書類を読んで、決裁することにのみ追われる。
こうなると書類で構成された世界は、現実の世界から遊離してしまうから、それを読んで決裁しても、現実の問題は何ひとつ解決していないという結果になってしまう。』
『 帝王学 「貞観政要」の読み方 』( 山本七平著/日本経済新聞社刊 ) より引用
いまの国会も、外交も、教育も、経済も、みなすべて・・
すべての問題に共通する、日本の “宿痾(しゅくあ)” が、2つの文章に凝縮されていると思う。
批判するもいい。デモをするのもいい。行動しないよりも行動した方が、関心を持たないよりは関心を持った方がいいに決まってる。
だけど、“その前に” 何か大事なものを置き去りにして、中身がカラっぽなままの日本では、ちょっとさみしすぎるんじゃないかと思えてならない。
→“最高の日本人マーケッターと言えば? それは “この人” でしょう。” に移動
今でも
返信削除凛冽な気を吐く外交官いるや如何に!!
もちろんです。
削除実はある先輩が奥大使と一緒に仕事をしたことがあるそうで
返信削除滅多に人を褒めないのに最大級の賛辞で立派な方だと言っておりました。
悲報に対し当時の小泉首相のそっけない?態度に憤慨していたことを
今でも憶えています。
国葬、それがムリというならせめて省葬にすべき出来事だったんですよね…。
削除当時の国(政府)は、「外交官は行け。自衛隊は行くな。武器持って行ったら中韓がうるさいから」って指示したわけで。
・・それでも奥大使は、その指示がどういう結果になるのかをよく理解した上で「私が行きます」と行動された。
なのに、国内では誰もその行為を讃えない。ニュースも、新聞も、コメンテーターも同様。あろうことか「武器も持たずに軽薄すぎる。バカじゃない?」とホザイた女性知識人もいたことを僕は忘れません。
もしも、この投稿で初めて奥大使や“海外外交の実態”を知ったという方は、記事内にリンクを貼っていますので、丁寧にお読みになって“まず”知って下さい。
ただ「偉いなぁ~」ではなく、奥大使の“何が偉かったのか?”、いまの日本人が忘れたかのように見える“大和魂”はどこにあるか?
・・そういったことについて、ぜひ丁寧に学び、人に伝えて頂きたいと願っています。
翔(トリーシャ)さん、貴重なコメントありがとうございました m(_ _)m