▲人のつながりは母子の愛情から。 |
記号としての商品群があふれかえるマーケットと、そんな市場にあって、秩序を指し示してやまぬ “羊飼い” たるリーダーたちが、まるで “子羊” たちの先を歩きながらいくつもの島宇宙を形成しているようだ・・。
ここでいう “羊飼い” とは各界のカリスマのことで、“子羊” とはカリスマに従順な消費者のこと。
正直、ここには “ブランディング” のことを書くつもりで、考え込んでいたんだけど、いつの間にか 『記号論』 やら 『キャラクター』 なんちゃらなんて、これまでに聞きかじった有象無象が頭の中でとっ散らかってしまった。
でもまぁ、今日の記事については、簡潔に書くことをスッパリあきらめて、思うまま書くことにしますので、何卒ご容赦を。・・ハッキリ言って読みにくいです。。
AKBのメンバーを全員覚えているほどのファンではないけれど、僕は結構、彼女たちが好きだと告白しよう。特に篠田麻里子さんが良い。「ほぉ?そりゃまた何で?」と聞くなかれ。特に理由があるわけでもなく、彼女と、あとはタレントのSHELLYさんの立ち居振る舞いが、最近、印象に残っている芸能人だというだけの話。要はタイプというわけ。
・・と言いつつ、僕は、タレント “篠田麻里子” を “麻里子さま” とは絶対に呼ばない。これ、意識して呼ばないんですな。だから、NHKの某番組なんか 『麻里子 “さん” のおりこうさま』 となってしまい、ときどき困る。
だって、麻里子 “さま” という 『キャラ』 が彼女にピッタリとは思えないんだもん。
現代のブランドとは何か?と聞かれたら、それはたぶん、つき従う羊の群れたちを迷わせない “羊飼いのような存在” のことだと思う。だから、ブランドは “これを選びなさい” と、あなたに代わって意思決定してくれるキャラクター(カリスマ性)を多少なりとも帯びている。この点おK?
そんな “キャラクター” たちが、また無数の “キャラ” を演じる人々を産みだすネタ元でもあるわけだから、さしずめ “文化という島宇宙の中心にいて、その重力で星々を引っぱり動かす存在がブランドである” といったところか。
昔からブランドはそうであったのだろうが、現代におけるブランドの特異性はフィクションと現実の境界を超えて重力を発しており、と同時に、爆発的な勢いで島宇宙の数を増やしている点にあるだろう。
萌え系 と呼ばれる二次元愛好家の群れしかり。AVやキャバ嬢にあこがれる若い女性の群れしかり。・・帰すべき日常さえもフィクションの中に埋没させて、ブランドに道を乞うている姿があちこちで見られるではないか。
いまや 『鉄腕アトム』 から 『まどか☆マギカ』 に至るまで、夢の語り手であった “アトムの子どもたち” が歴史上の実在したヒーローに取って替り、世界中の迷える人の子に人生を語っている。
国を築いた先哲ではなく、危難の中で歴史に名を残した偉人でもない。フィクションの中に住む “彼ら、彼女ら” が、である。
▲玄海町に立つ巨大な案内版 『 心 夢みる アトムの町 』 |
支離滅裂を承知で記せば、ブランド構築に虚構は厳禁だといいたいのだ。もちろん、人の心のなかにだけ存在するのがブランドであれば、虚構と現実のボーダーラインは判別に難いが、おそらく、一度嘘八百のブランド構築なんかしてしまったら、他でもない “あなた” が苦しむのは目に見えている。成功を望むのを急ぐあまり、「私は世界初の “ITバズヴィジュアライザー” です。」なんて奇天烈な肩書きを決して名乗ってはいけない。一度名乗れば、それが “あなた” を呪縛することを知ってほしいし、もしも名乗っているのなら、一から出直すことをオススメしたい。
もしも、篠田麻里子が “麻里子さま” という記号で語られるのが “当たり前” になってしまえば、彼女の可能性がしぼんでゆくように思われてならない。“初音ミク” はツインテであってこそ輝いているのだし、“かぐや姫” は竹から生まれ月に帰るからこそ “かぐや姫” なのだ。
偶像たる彼女たちの輝きが、節操のない商業プロパガンダに利用され、グロテスクなキャラクターとして見られるようにはなってほしくない。もちろん、ここまで読んでくれた “あなた” にも、だ。
マーケティング大国アメリカであれば、『スパイダーマン』 や 『アイアンマン』 が必要だろう。建国わずかに250年と若い国なのだから。・・しかし、日本にはその10倍の長きにわたる歴史がある。虚構でも何でもなく、僕らの “今、ここ” につながる活きた歴史が、確かにある。
・・記号としてのキャラクターを演じるとしても、“言葉” まで記号にしてはならないのだ。
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