▲「調べる」「考える」。・・情報を扱う者の常識です |
『様々な理由から、パソコンやインターネットをはじめとする情報・通信技術の利用に困難を抱える人。情報技術を活用できる層と情報弱者の間に社会的・経済的格差が生じ、あるいは格差が拡大していく現象を「デジタルデバイド」という。』( IT用語辞典 より引用)
つまり、意味としては “パソコンやスマホといった情報端末をうまく使えない人たち” のことを指して “情報弱者” と呼ぶ みたいなのね。
う~ん、、どうもしっくりこないなぁww。
『情報』 には “インフォメーション” と “インテリジェンス” の両面がある。ざっくりと感覚だけで書いておくと、「意味」とか「価値」を軽んじる人たちが好んで使うのがインフォメーション。その反対に、情報から何を得て(解釈して)、どう判断すべきかを考える際に役に立つのがインテリジェンスとしての情報。・・いや、あくまでも感覚で書いてますからね。詳しくは調べてくださいよ。それがインテリジェンスってもんですから。たぶん。
“情報弱者” っていう言葉がしっくりこないってのは、つまり、こういった部分。人間の側にあるはずの問題が、すっかりスカスカ除外されていることが原因だと思う。大切なのは、道具を使えるか使えないかではなく、その道具を何に使うのか?どんなふうに使うのか?ということではないか。
だって、○○弱者って言う場合、ふつうは人間の問題を指す(意味する)のじゃないですかね?・・そう。ニンゲンの問題ね。どれだけ情報機器が進歩したところで、人間がそんなに急に進歩するわけもないし、車を運転しない人を 『自動車弱者』 とも言わないし。・・あ、交通弱者とは言うね?ま、いいです。
新しく世の中に登場した「スマホ」やら「タブレット」なんて使わない。使う必要がない。という選択をした人たちまで “情弱” なんて。そんな簡単にチャラ~く呼べるのかしらん?・・こういった点、すごく “言葉” がチャラすぎる気がしてならないんですな。最近特に。
昨日のオープンカレッジ参加者さんから 「ネットビジネスでは○○が勢いあるのか?」 とか 「(主は)○○・○○が好きなの?」 といったコメントがあったんだけど、放送の残り時間が1分を切っていたこともあって、まともに返答が出来なかった。○○の中には、いわゆる個人名が書かれてたんだけど、ここでは省略。・・単に 「書きたくもないから」 というだけの理由で他意はない。
で、コメントで質問されてたのは 「あんた、誰の影響を受けてんの?」 ってことだと思うわけ。なので、先に書いておくと、具体的に名指しされてた人たちは “知ってるけども興味ない” ってのが答えになる。
“アフィリエイト” という業態については、とても優れた仕組みだとは思うけれども、一面としてはビジネス意識の低い人たちを大量生産し、ネット上にわらわらと排出したマイナス面も極めて大きいと思う。・・どうしてそうなったか?という理由のひとつとして、アフィリエイターは “商品情報の提供者” であるにも関わらず、商品に関して責任を持たない (持つ必要がない) という点がありはしないか。「買ったのはあなたの勝手。私は紹介しただけ。」なんて。
もしも、販売力をもった、いわゆるスーパーアフィリエイターがこれからも “インフォメーション” だけを繰り返すのなら、ネットビジネスはどこまでも、ずっと 『怪しいジャンル』 であり続けるんだろうな、とは思う。
といって批判する気もないわけね。・・だって、そういった○○さんから喜んで商品を買っちゃう人たちもいるわけなんで。経済活動してる限り、アホな増税やっちゃう政府よりなんぼか世の中の役に立ってると思う僕もいるわけです。はい。
“インフォメーション” は、目的があって提供された情報だってことをよくよく考えてみた方がいいし、そして、情報を提供する側の人間は・・まして、それで稼いでいるつもりの立場にいるならなおさらのこと、自分の提供する情報が人に与える 「意味」 や 「価値」 をちょこっとでも考慮する余裕があってほしいと、オープンカレッジ参加者さんには心から願う次第でありまする。
未来の不確実性のうち、確率でとらえられるものをリスク(危険)とよび、確率ではとらえられないものをクライシス(危機)とよぼう。両者が混在している未来にたいしていかに「舵(かじ)取り」をすべきか。舵取りということを意味するギリシャ語のキベルナンから、サイバーのほかに、ガヴァン(統治すること)という英語が派生していることに注目しよう。
「危険」にはITを用いて情報工学的に対処し、「危機」にはHO(ヒューマン・オーガニゼーション、人間組織)をもって対処する、と考えるのが適当なのではないか。そして、人間組織にあっては、文化・世間の下部構造と政治・経済の上部構造とが安定的に配置されていなければならないのである。
そうだとしたら、危機の時代が到来しつつあると認識した上でIT革命について喧伝するわけにはいかないはずだ。それは、危機に対応できないのが情報技術である以上、歴然たる社会破壊につながる。その社会破壊が時代の危機をさらに深めるという意味では、現下の危機はまさに情報社会が作り出したものだといわなければならない。
西部邁 談
『保守思想のための39章』(西部邁 著) 2002年 ちくま新書
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