▲現代は日本人が日本を語れない時代なのか? |
その目的とするところは、すこしでも「日本」に興味をもってほしいから。この国ってめっちゃおもしろいんですけどね。ときどき、「歴史には興味ありません。」みたいな人に会ったりすると、すごく悲しい気持ちになります。
理由は、人間っていうのは歴史を学ばなければ、現代を知ることすらできないんじゃないか?と考えているからなんですね。
「自分の過去、つまり自分をも含めて家族の歴史を知らない人間は、記憶喪失者同様、真の意味で自分ではあり得ない。」(『教育再生』第2号“記憶喪失者としての日本人”より引用。日本教育再生機構 刊)と、櫻井よしこさんなどは書いていらっしゃいますが、まことに至言。まことに同感。
海外留学の経験がある人なら、欧米・アジアを問わず、世界中の若者が自分の国の歴史や文化について熱く語るのを知っているはず。・・ただ、我が日本の若い衆だけが、この滑稽なほど熱い “お国自慢” に参加できないでいるわけ。
そりゃそうでしょう。いくら語りたくても、語るべき “日本” を知らないんですからね。
そういった理由から 「日本は特殊だ」 という言われ方をする場面が多々ある中で、これは最悪だよね!って僕が思うことのひとつに “宗教に関する無知” があります。
Facebookだって、はじめて登録するときに聞いてきますね?「あなたの宗教は?」・・なんて。これって、好きな色は?得意な学科は?趣味は何?って聞くぐらい当たり前の話題。相手を知る材料として “信じる宗教” を尋ねるのは、マナー違反でもなんでもありません。ところが、「あなたの信じる宗教は何ですか?」と質問された日本人の多くが、「私は無宗教です。」 とか 「僕は無神論です。」 と平気で答えるからびっくりされちゃう。
・・これ、よその国の人たちにどう聞こえるかというと、「私は何も信じませんし、信じられません。信じる気がありません。」って聞こえるらしい。いや、ほんと。
日本人が神社に初詣をするのは 「お正月だから。」
人が亡くなって葬式をするのは 「そうするものだから。」
結婚式を教会で挙げる理由も 「みんながそうしてるから。」
入信した宗教に入った理由は 「熱心に勧められたから。」
その他もろもろ。日本人の生活を日本人らしくしている “文化的背景” を誰も知らない。“知らない” というより、そもそも興味がないらしい。
その証拠に、僕が 「日本文化を研究してます」 みたいに話すと、たいていの場合 「へぇぇ・・ヒマなんだね。」 みたいな顔をされてしまいます。
ところが、同じ人に対して 「ダン・ケネディとテッド・ニコラスでは、そもそも人間観がずいぶん違いますから。彼らの著作を読む際には注意が必要です。」なんて話をすると、今度は 「すげぇwwこいつ勉強してるな。」 って顔をされる。
このふたつの事例、僕にとっては同じレベルで学んでいること。日本人として日本文化を研究しているからこそ、海外マーケッターの個性や特徴を明確に把握できるわけ。なので、謎は深まるばかり。日本人にとっての基準とは何か?何を信じて日本人は行動し、正邪善悪をどこで判断しているのか?
もはや漠然と考え “なんとなく” 生きていける時代ではありませぬ。
そろそろ、僕らのアイデンティティーを取り戻そうではないですか。 ・・ねぇ?
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外人の女性にあれだけ叱咤激励されるとは!
返信削除恥ずかしいやら、悔しいやら。
国の形があまりにも形骸化してますからね。
言われて最もです。
亡くなった人たちに報いるには?
戦後は日本人としての誇りと言うのは語られてきませんでしたね。
言ったとしたら、なんかシラケル。そんな空気がありました。
誇りは民族としての幹になるものでしょう。
幹があって枝は伸び花が咲きます。
我々は幹を持たずに枝葉だけを求めてきたところがありますね。
外人の女性に言われるのはむっちゃむっちゃくやしいけど。
先人の死に報いる為にも幹は大事でしょうね。
“先人の死に報いる為にも幹は大事でしょうね。”←まさに、このひと言に尽きるかと。
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